|
ブライアン・サミュエル・エプスタイン(Brian Samuel Epstein, 1934年9月19日 - 1967年8月27日)は、イギリスのビジネスマン。 1962年6月26日、ビートルズをマネージメントする為の会社「NEMSエンタープライズ」を弟クライヴを共同経営者に迎えて設立する。ビートルズのマネージャーとして最もよく知られ、彼らからはエピーという愛称で呼ばれていた。なお、彼自身は自分の苗字を常にエプスティーン(Epsteen)と発音した。 == 家族と生い立ち == 父方の祖父アイザック・エプスタインは、リトアニアからイギリスに移住したユダヤ人(ユダヤ系リトアニア人)。アイザックは、息子ハリーとリヴァプールのウォルトン・ロードで家具店を経営していた。ポール・マッカートニーの一家は、そこでピアノを購入したという。 ブライアン・エプスタインは、1934年9月19日、リヴァプールのロドニー・ストリートの産院で父ハリーと母クイーニーの間に長男として誕生。1936年、弟クライヴ誕生。第二次大戦中、一家はサウスポート等に疎開。戦争が終わりに近づく頃、リヴァプールのクイーンズ・ドライヴ197番地に戻る。〔エプスタイン(1972年)、pp. 10-13。〕〔コールマン(1992年)、pp. 40-42。〕 ユダヤ系小学校のビーコンズフィールドを卒業後、シュロップシャーのパブリック・スクール、リーキン校に入学。しかし服飾デザイナーになるため退学したいとの手紙を家に送る。結局二年で退学するが、服飾デザイナーの夢は父ハリーに反対され、1950年9月、父の家具店で働き始める。週給5ポンドでの家具販売は本意ではなかったが、鏡を購入しに来たある女性に12ポンドでダイニング・テーブルを販売することがあり、その楽しさを知るようにもなっていた。〔エプスタイン(1972年)、pp. 16-25。〕〔コールマン(1992年)、pp. 49-53。〕 1952年12月、徴兵されて陸軍に入隊。隊規違反を起こし、精神鑑定によって同性愛者であるという結果が出たため除隊になり、家具店の1フロアに作られたレコード売り場を担当する。 1956年、俳優を志してロンドンの王立演劇学校に入学。後に活躍するスザンナ・ヨーク、アルバート・フィニー、ピーター・オトゥールなどもいた。しかし3学期で挫折。リヴァプールに戻り、父親が電気製品の分野に進出した「NEMS」と名付けられた店のレコード部門の責任者となる(弟クライブが電気&家庭用品部門を担当)。1961年8月3日発行の『マージー・ビート』誌3号から音楽コラムの連載を始めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブライアン・エプスタイン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Brian Epstein 」があります。 スポンサード リンク
|